自由な旅人ケイちゃんです。
昨夜23時頃の地震は大きな揺れでびっくりしました。
緊急地震速報の音が鳴らなかったことが不思議なぐらいです。
高層階に住んでいる為、揺れが大きく、自分の部屋で収まるのを待つことにしました。
平成アナログ息子が「母さんダイニングテーブルの下に。」と呼びにきました。
這ってリビングに入ると、テーブルの下にいるデジタル娘が「早く。」と声をかけました。
娘は、私がテーブルの下に潜り込んだのを確認し「あんたも頭だけテーブルの下に入れて。」(3人は入れない大きさのテーブルです。)と息子に声をかけ、収まるまで、3人団子状態でじっとしていました。
デジタル娘は東日本大震災を東京で経験しています。
「あの時もこんな揺れだった。」と申しておりました。
幸いタンスの上の物が少々落ちたぐらいで被害はありませんでした。
しかし福島の原発が心配です。
今回の地震で、やはり備えはしておかないと、としみじみ思いました。
(関東に住んでいるけど、何もできていない。。。)
また、今回の地震で子ども達の成長を感じました。
まだ、地方都市に住んでいた頃、阪神淡路大震災がありました。
とっさに私は赤ちゃんだった息子の体の上に覆いかぶさり、同じように関白宣言が娘の体の上に覆いかぶさりました。
あのころは親である私達が子どもを守らなければと必死だったと思います。
いつの間にか立場が逆転し、子どもが判断をし、家族を守ろうとしてくれたことを感じました。
大昔の話になりますが、アナログ息子の子育ては本当に大変でした。
発達の遅れを指摘された3歳児検診。
登園拒否から、そのまま登校拒否。
いじめで孤立。
不良に片足突っ込んだ中学時代。
自慢じゃないけど、人生で宿題をしたことがない。三者面談の時にいつも「お母さん、少しは注意して下さいよ。」と私が叱られた。(なんで私が叱られるんだ?)
学年でビリかビリから2番目の成績で行く高校がないと言われた。
高校では、いつも授業中寝ていた。先生が寝ている頭に「起きて下さいね。」と書いた紙を貼っていた。
今から思うと、笑えるようなエピソードもありますが、当時はこちらも必死でした。
しかし彼には、人生の分岐点のたびに、彼を導いてくれる素晴らしい出会いがありました。
学校へ誘ってくれたサッカー少年、いじめから守ってくれたガキ大将、話し相手になってくれた家庭教師、ゆっくり眠らせてくれた高校教師、高校生活を楽しむことが優先と言ってくれた担任の先生、大学生活で出会った元彼女、採用してくれた上司etc.
たくさんの出会いが、今の彼を作ってくれたんだと思います。
昨日の私を気遣う行動。
リビングに連れて行った行動が正しい判断だったかは不明ですが、私を守ろうとしてくれたことは事実です。
彼が出会ったたくさんの方々に本当に感謝します。
今でもやはり波があり、少々、家族に心配をかけることもありますが、親は先に旅立ちます。
人は一人で生きているわけではありません。
姉弟仲良く助け合いながら生きていってほしいと思います。
また、人とのつながりを大切にできる人間であってほしいと願います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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