自由な旅人ケイちゃんです。
前田家16代当主 前田利為侯爵の自邸を見学しました。
洋館1階の賓客用スペースを見学後、2階の家族の生活の場を覗く。
菊子夫人がハイヒールで上がったという大階段を上ると、とっても広い階段広場が広がっています。
我が家のリビングダイニング、キッチン、洗面など1階部分の広さ以上あるかな。
階段手摺の透かし彫りが実に細かい。
階段の窓は、中庭に面していて、窓の色ガラスから柔らかい優しい光が差し込みとっても綺麗でした。
全て復原したものですが、銀地に金銀色の壁紙、絨毯は毛織物でとっても豪華。
照明の外側の8個のシェードは絹製です。
さて、ここでクイズです。
ベッドの枕元にある箱には何が入っていたのでしょうか?
答えはこちら ↓ ↓
守り刀。
華族とはいえ、もとは大名。
武器としてもお守りとしても、大切な物だったんでしょうね。
夫人室は邸内で一番艶やかな部屋でエレガントの極み。
家族団らんの居間でもあったそうです。


イギリスから帰国する前に書いてもらった菊子夫人の肖像画が飾ってあります。
「主の部屋には配偶者の写真を飾るもの」という考えをお持ちで、本当に飾ってあったそうな。
愛妻家だったらしい。


使用人はいきなり書斎に入るわけではなく書斎の前室で一旦待機します。
ここに一部現存した壁紙が飾ってありました。
壁紙は金彩加工されていたそうです。
終戦後、前田邸は連合軍に接収され、リッジウエイ司令官の官邸となりました。
その時、司令官の奥様の意向で、壁紙は全て白に塗り替えられたんだそうです。
なんと、もったいなや(~_~;)
日本人と海外の方の美意識の違いを感じました。
2階にはお子様たちの居室もありました。
菊子夫人の化粧室や客用寝室だった部屋を子ども部屋として使われたそうです。
彫刻、壁紙、床の寄木モザイク、シャンデリア、そしてところどころに隠れている加賀藩の梅の紋など装飾が素晴らしく、見どころ満載。
もっとゆっくりしたかったけど、和館のガイドツアーの時間があったので移動。
和館は、外国からの賓客をもてなすために建てられました。
節句行事や茶会などにも使用したそうですが、普段使うことがなかったので、照明や暖房設備がなかったとのこと。さぶっ(-_-;)


約40畳ある続き間で、欄間の精巧さにうっとり✨
ここで畳をみてほしい。
縦に横に違和感ない配置。
しかし、当時の畳は、全て床の間に対して平行に並んでいたんだそうです。
床の間に対して畳の短い辺が接触する形は、ヘリが突き刺すようなになり、殿様に対して縁起の悪い敷き方と考えられたんだそう。
もう大名の時代ではなかったけれど、もと大名家。
こだわりがあったか?
今度、時代劇をみることがあったら畳の向きに注目!


付書院、床の間、違い棚を備えた書院造は、大名らしいスケールの大きな構え。
入側は一間幅あり、陽当たりが良い。
流れを中心とした池泉庭園で、秋には紅葉が美しいという。
海外の方はきっと大喜びだったに違いない。
※入側:縁側と座敷の間にある通路のこと
ガイドツアーの何がいいって、通常非公開の2階部分と茶室を見学できること。


床の間と違い棚を備えた格式高い居間。
南の窓から池泉庭園を一望。
東側の丸窓方向からは、中国趣味の庭がみえたんだそう。


違い棚奥の金砂子(きんすなご)紙は、和館で唯一の当初の壁紙。
時代を経て少しくすんでいるが、当時は本当に美しかったんだと思う。
剥がす輩がいるのか、防犯カメラ作動中。
終戦後、2階を寝室として使っていた司令官の奥様。
和紙の壁紙の色がお気に召さなく白に塗り替えたという。
また、暖房設備がなかったため壁をぶち抜いてセントラルヒーティングを入れたそうな。
寒さはしょうがないにせよ、美意識の違いは大きい。
ということで、館内は復原したものが多い。
よくぞここまで復原できたと日本人の匠の技の素晴らしさを誇りに思う。
大きな吹き抜けの階段前の廊下。
廊下って言ったって我が家のリビングの広さ以上はある(^^;
杉戸絵は、日本画家・松本雅邦さん作。


杉戸絵はあちこちに描かれており、四季を楽しめる。


このあと、茶室へと向かうガイドツアー御一行様。
といっても、この日は4名だった。


席は四畳半席で、裏千家の代表的茶室「又隠」の写しと言われた。
お茶のことはようわからんが、天井部分に見惚れた。
ガイドツアーの所要時間は、洋館50分、和館30分ほど。
それぞれのツアー開始時間を考えて、両方参加できると楽しいと思う。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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